SSH地歴・公民ワークショップ 「東三河の戦国時代・断層・戦争遺跡を体験する」

日 時 2025年3月2日(日) 7:30~17:30
参加生徒 38名(1年生23人、2年生15人)
内容
「日本史のターニングポイントの一つ長篠合戦の現場を巡る」「日本最大の断層の中央構造線をこの目で見る」「太平洋戦争の戦争遺跡を見て聴いて平和について考える」の3テーマでフィールドワークを行いました。

「長篠合戦場巡り」
長篠合戦の説明を受け、ガイドさんの案内で設楽原歴史資料館を見学しました。その後、設楽原古戦場で再現された馬防柵、さらに移動して長篠城址の散策、史跡保存館を見学しました。

「中央構造線長篠露頭見学」
多くの生徒にとって初めて見る中央構造線の露頭でした。本校教員の解説に真剣に聞き入っていました。

「豊川海軍工廠平和公園での講話、および戦争遺跡の見学」
日本最大の海軍工廠が存在した豊川に、戦争末期の8月7日に空襲があり2500人以上の犠牲者が出ました。その日の様子を語り継ぎボランティアさんから聞きました。その後、平和公園内にある戦時中から現存している建物をガイドさんの案内で見ることができました。

【生徒感想】
長篠の戦いで鉄砲が使われたことは知っていたけれど、撃ち手の入れ替わり方に違いがあったことや、馬防柵の存在が大きく勝敗に関わったことは知らなかったのでとても勉強になった。山に囲われていて、思っていたより狭かった。この中で激しい戦が起こったのだということを資料館などを通して実感した。

地層の違いがはっきりと分かり、くっきりと断層が確認できた。川底の石なども関係があると聞いて、自然の雄大さを感じた。

スケールが大きすぎて想像しづらかった。自分にとってはとっても大きな断層でも、地球から見たら細い一本の線でしかないんだなと思い、感動した。

空襲といえば、東京大空襲がよく取り上げられるので、人口が集中している地域が被害を受けたのと考えていました。しかし、ガイドさんのお話を聴いたり平和公園を見学する中で、工廠のように日本の戦力を促進させるような役割を担っている土地も爆弾の被害を受けたと分かり、心が痛みました。豊川に空襲が来たのは終戦間際の8月7日だったので、もう少し早く降伏してほしかったと感じました。

ボランティアガイドの方が仰っていた、「この工廠跡は被害の痕跡であると共に、加害の痕跡である。空爆で亡くなったのは2500人ほどであるが、この工廠によって間接的に亡くなった人はもっと多いかもしれない。」という言葉がとても心に残った。ボランティアガイドの方の解説によって、細かな所の工夫も知ることができた。

いつもの授業ではなかなか深くまで潜る機会はないが、今回長篠の戦いや太平洋戦争について深く知れてすごく充実した日になった。また、時代を超えて争いの根本やそれによって苦しんだ人々の思いに触れてなぜ戦争は無くならないのか、どうすればなくなるのかをじっくり考える貴重な機会になった。これからも深い学習をたくさんして、上辺だけでない豊かな教養を身につけたい。

【引率教員感想】
今回は歴史・地理・公民分野というさまざまな視点から学習することができた。現場に行き、実際に自分の足で歩き、目で見て、耳で聴き、肌で感じることの大切さを感じた一日であった。来年以降も場所・対象を変え、さらに良い企画を考えていきたいと思っている。